田舎でオール公立でも最高の教育を目指す

地方で子育てをする医学博士夫婦の教育論

認知の歪み

このところずっと忙しくて、生活の中にブログのブの字もありませんでした。

10月から、中途半端な形で出世?させられ、

責任のある仕事が増えました。

まあ、体良く面倒な仕事を押し付けられたような感じです。

開業する事を医局に正式に報告したので、辞める前に医局に奉仕せよ!という意味もあるのかもしれません。

そんな中で次女と次男が連続で体調を崩し、病児保育探し、仕事の調整に追われていました。

幸い、登録している病児保育の中で自宅から1番遠いところが空いていたのですが、

そこに送り届けて出勤するためには7時前に家を出発しなくてはなりませんでした。

朝は長女1人を家に残し(ひとりで学校に行かせ)、

下の3人は車の中でおにぎりを食べさせながらまず病児保育に送り、

次に元気な子供をいつもの保育園に送り、(歯磨きもせずに登園…)

運転中も職場の病院スタッフと電話をしながら指示を出し、

それを夕方のお迎えの時もまた同じことを繰り返すという…

なんだかめちゃくちゃな生活になっていました。

でも、おかげで開業する意志は固まりました。

開業したら、子供が病気になってもクリニックの自室に置いておけば、様子を見てあげながらなんとか働ける。

薬もすぐ出せるし、必要があればスタッフの子供が病気になった時も見てあげられるな。

誰かに恨まれたり、恨んだりすることも、今よりずっと少なくなるだろう。

私はこの数日間、誰かのことを恨みっぱなしで、それがものすごく苦しかったのです。

ああ、これが「認知の歪み」ってやつなのね…なるほどー。と冷静に自分を観察していました。笑

そして、恨みつらみというのは、結局自分を傷つけるだけで、何も解決しないということを改めて学びました。


「なんで私だけこんな思いをしなければならないのだろう。

無責任な夫、

無責任な義両親、

思いやりのかけらもない同僚たち。

私の大変な状況をちっとも察してくれないスタッフたち。

なんで私だけ…なんで私だけ…なんで私だけ…」

そんなことをぐるぐる考えている自分を、幽体離脱したように客観的に見てみたら、本当に滑稽で笑えてきました。

誰も悪くないし。笑

みんないつも通りの業務をいつも通り行っているだけで、誰にも悪意は無いのです。

子供が病気になるのも仕方のないこと、

夫がいつも通り仕事に行くのも、当たり前のこと、

義両親が協力的でないのは、今始まったことではなくいつものことだし、笑笑

スタッフも同僚も、私がこんな状況でも業務に支障がないように頑張っているだけ。

それを、こんな風にイレギュラーが重なって立ち行かなくなると、途端に心の中で誰かのせいにしてしまう自分は本当に未熟だなと思います。

私の中に、「認知の歪み」が存在するのですよね。

自分がこんな状態で、子供たちに偉そうなことは言えないのですが、子供たちにも上手に自分の思考をコントロールできるようになって欲しいと思います。

スポーツで負けても、勉強で負けても、うまくいかないことがあってもそのほとんどは、

自分が悪いか、誰も悪くないか、のどちらかです。

けれど子供は子供なので、友達や先生のせいにしたり、親のせいにしたり、忙しさなどの環境、更にはテストの問題のせいにしたりします。

それに、同じことが2回3回続くと、

自分はダメなんだ。

自分は勉強が苦手なんだ。

自分には才能が無い。

自分はみんなに嫌われている。。。

そういった決めつけの思考に陥ってしまうことがあります。

その時はそれで気が済むかもしれませんが、誰かのせいにしても絶対にスッキリすることはありませんし、

ましてや、数回の出来事で自分の能力を決めつけてしまったら、伸びるものも伸びなくなってしまいます。

この「認知の歪み」は、小さい頃からの思考の癖であるような気がします。

ですから子供のうちからそういう思考回路にならないように、もしなってしまったら少しずつ解きほぐしてあげたいなと思います。

私が以前から言っている、「就学前に読み書き計算を少し先取りして、就学時に勉強を好きに(得意に)させる」という考えは、言いかえれば、

「自分は勉強ができない、という認知の歪み = 思い込み をさせない」という意味の方が大きいかもしれません。

苦手だとか、できない、というのは、

ただ単に、到達すべきところまで届いていない分野が一部存在する、という意味であって、

必ずしも才能が無いという意味ではないという事を、自分で気がつけるようになって欲しいです。

(類まれな才能を持って生まれた人が存在することは事実ですが。)

「できない部分」というのは、素晴らしい部分も至らない部分も併せ持った「自分」の、ごくわずかな一部分であるし、

たった1度や2度の失敗で、これまで積み重ねてきたものは無くなったりしないし、

次もうまくいかないとは限りません。

自分はこういう人間だ、相手はこういう人間だと簡単に決めつけないこと。

人の心を読みすぎて、自分がどう思われているか決めつけないこと。

叱られても冷たくされても、自分自身が否定されたわけでないこと。

今日と同じ結果が明日も起こるわけではないこと。

それをその都度しっかり伝えていこうと思います。

ちょっと勉強の話に戻しますと、数学系は勉強したからといってすぐに得点に結びつく教科では無いですよね。

基礎をきっちり積み重ねた後に、その基礎的思考と別の基礎的思考の回路がある時点で繋がった時に初めて、

パチンとパズルがはまったように理解できるようになる教科です。

その回路が1度繋がると、次からは優先的に簡単に繋がるようになるのだそうです

そこに至るまでには生まれ持った個人差があって苦しいかもしれないけれど、1度理解すれば次からも理解しやすくなり、ひらめきやすくなります。

理解できない=才能が無い のではなく、神経回路がまだ上手く繋がっていないだけなのです。笑

より回路が繋がりやすくするためには、その回路が何度も繋がった実績を増やし、その繋がりを太く、強固にするしかないのだそうです。

たとえるなら、脳内のネットワークを、電話回線から光回線に自力でアップグレードするのです。笑

逆に、認知の歪み (思い込み) を是正するには、1度繋がってしまった思考回路を断って、別の方向に持っていく作業なので簡単ではありません。

が、決してできないということはありません。

認知の歪みを生じさせないために、そして出来上がってしまった歪みを解消するためには、

上手くいかなかった時こそ丁寧にフォローすることが大切かと思います。

テストの点数が悪くて3回連続で40点でも、見方を変えれば、「この40点だけは、いつどんな状況でも確実に取れる40点であり、どんなに小さくてもこれまでの努力の賜物であり、決して無くならないもの」です。

できないところを明らかにすると同時に、できているところも毎回きちんと評価することだと思います。

向上心の高い人ほど、できない所ばかりに目を向けてしまいがちで、たとえ99点でも落とした1点の事しか見えなくなってしまいますよね。

私もそういうタイプですが、「ここまではできた」と、自分のことも子供のことも認められるようになりたいです。


私自身の課題は、何もかも上手くいかないと思ってしまいそうな時に、「ここは上手くいっている」という部分も冷静に挙げられる様にすること、

誰かを責めてしまいそうな時は、その出来事が本当に100%その人だけのせいなのか考えること、(ほとんどの場合、そうではない)

それから、他人の行動に、自分勝手な意味づけ(わざとやっているんじゃないか、など)をしないこと、です。

私は、本当は家族にも職場の仲間にも恵まれていると思います。

夫は家事育児をよくやっていると思うし、過干渉な義両親よりは放っておいてくれる義両親の方が100倍マシです。笑

そして、今回こんな私をチームリーダーにしてくれた上司。

それについてきてくれるスタッフ。

支えてくれる人たちに感謝の気持ちを忘れないようにしたいです。



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