田舎でオール公立でも最高の教育を目指す

地方で子育てをする医学博士夫婦の教育論

どの教育メソッドを信じる?

教育系のブログやSNSアカウントを拝見すると、高い確率で遭遇するのが、

「〇〇式教育をやっています!」という記述。

1つの教育理論だったり、ある教材を信仰して子供の教育を行なっているというケースです。

七田式教育

石井式国語(漢字)教育

陰山メソッド

ヨコミネ式教育

限定的だけど公文式とかも入れとくか。

海外版だと、

モンテッソーリ教育

シュナイター教育

その他いろいろ…


私は、どれにすがって信じても良いと思います。

これらは、言ってみれば宗教と同じ。

自分が好きなものを選んで信じておけばいいんです。

信じるものは救われます。(気持ちがね)


私はというと、えーと私は一応仏教だけど、ほぼ無宗教に近いですよ。笑笑

そう、上記の教育メソッドはどれも信じていません。

だって、これらのメソッドはそもそも思想や経験に基づくものであって、別の何かと比較検討して優れているものではないからです。

つまり、1つの仮説に基づいてやってみたら、やらない場合より効果があったってだけで、

「同等の時間と労力を必要とする別のメソッド」と比較検討されていないのです。

そりゃ、何かに力を入れて教育に取り組んだら、何もやらないよりは何かしら効果あるっしょ!って話です。

やらない場合とやった場合を比較しても、あんまり意味はないのです。


私は、「ある医学的数字がどのくらい信頼に値するものか」ということを考える仕事をしています。

例えば、ある症状の患者100人にAという新薬を投与したとして、そのうち30人の患者でこれまでにないほど明らかに症状を軽減したとします。(数はテキトー)

全員に効果は無いけれど、100人中30人には劇的に効果があったということです。

「Aという薬はこの症状に効く」と結論づけて良いと思いますか?

もし、何も投与されなければ(偽薬の投与では)症状は1人も改善しないのだとすれば、「Aという薬はこの症状に効く」と言ってよいと思います。

ですが、すでに古くから使われている、「100人中90人にある程度効果があるBという薬」と比較してどちらが優れているか、ということを論じる時は、別の視点が必要です。

「Aは効果がある」ではなくて、「Aの方が優れている」ことをいうためには、何もしていない人と比べても意味がありません。

例えば○○式プリントとそうでないプリントで、同じ範囲を、同じ分量、同じ期間、同じ回数の演習をしたとして、その効果に本当に違いがあるかテストをして検討しなければ、〇〇式の方が優れているとはいえません。

やった人とやっていない人を比べたら、どんなメソッドでもやった方の人に効果があるに決まっているからです。

つまり、どれも「効果はある」けれど、「他より優れている」と言えるものは1つもないのです。

それにもし、AとBが薬ではなくて教育メソッドだとしたら、当然公教育で採用されるべきなのはBなのではないでしょうか。


また、上記のどの教育法も、圧倒的な成功例が少ないだけでなく、その他のデータも少なすぎて、正直わからないんです。

例えば、将棋の藤井聡太くんがやっていたことで話題になった「モンテッソーリ教育」

藤井くんを1つの成功例だとしたら、

それって何十万分の一の確率なんですか?って話です。

世界でみても、確かにGoogleやAmazonの創始者もモンテッソーリ教育を受けたようですが、

それですら、気の遠くなるような低い確率ですよね。

それってたまたまなんじゃないの?ってくらいの数字です。笑

モンテッソーリって、私の両親が生まれた頃にはもう亡くなっていたくらいの昔の人です。

モンテッソーリ教育を行う施設は世界各国にたくさんあります。

その中で数人の有名な成功者をあげたところで、

そりゃ、そこそこ歴史もあるし、その教育を受けた人も多いからそれくらいの成功者が出て当然、いやむしろ少なくね?くらいの数字です。


その他の教育メソッドも、「効果がある」ではなくて「他より優れている」と結論づけるには根拠が足りない、いや、少な過ぎるんです。

「他より優れている」のでなければ、もうそれはレストランでメニューを選ぶのと一緒で「好み」で選ぶしかありません。

それに私は、自分の子供を天才棋士にしたいとは思っていないし、

七田式教育をやっていたことで有名な人気子役のようになって欲しいわけでもないし、

ヨコミネ式の天才プロゴルファーのようにしたいわけでもありません。

ましてや、GoogleやAmazonの創始者のようになって欲しいとは1ミリも思っていません。

彼らは、その教育法が、たまたまその業界とマッチして成功したけれど、じゃあ彼らのような素質でフツーの医者のような仕事ができるか?って言うと、たぶんできません。

モンテッソーリ教育における「自由」と「わがまま」は紙一重ですし、もしその教育で自由のベクトル方向が違ったら、社会不適合者になる可能性だってあります。

じゃあ陰山メソッドは?

うーん、確かにうちでやっているドラゼミは陰山先生の監修ですが、

反復練習で基礎力を鍛えることは本当に大切だと思いますが、それだけで思考力、応用力までもが身についたら、誰も受験で苦労はしない…。とも思います。笑

基礎力を鍛えることでその集団全体の学力が上がるのは当たり前ですしね。←これも、やらないよりやった方が良いに決まっているという理論です。


そんな感じで、どれをとっても「これだ!」と思えるメソッドは存在しないし、どの方法も「効果はある」けれど「他より優れている」という根拠が乏しいので、私は無宗教なのです。

ただ、それぞれのメソッドで「いいな」と思うところは部分的に真似をしています。

陰山メソッドの100マス計算は、

問題を作る側の労力が少ないし、省スペースでたくさんの問題が解けるので活用しています。

モンテッソーリ教育も、

興味のある事に集中して取り組むことは良いことだと思うので、そこは子供の意欲を尊重しています。

しかし、「ごはんだよ!」と言ってもその作業をやめないような場合は、協調性の方を優先して一旦やめさせます。

それに、好きなことばかりではなく、苦手なところを克服する努力も同じくらい重視しています。

好きなことを伸ばすのはとても大切な事なんですけれど、好きな事をやっていてもその中で必ず苦手な部分は出てくるんです。

そこに向き合えないと、結局何をやってもダメだろうというのが私の考え方です。


ま、結局のところ、冒頭で書いた通り、教育メソッドは単なる宗教だと思っています。

同じ教育メソッドでも、「それを実践する教育者の質」によって、結果も雲泥の差があるとも思います。

我が家の近くにもモンテッソーリ教育を行う古い幼稚園がありますが、

いまだに話題になるような天才児は輩出していません。笑

それどころか、どこの学校の合格率が高いという数字もなければ、

将来の大学進学率や年収の比較もないし、

他の幼稚園出身者より社会で活躍しているというデータもないし、

人間的に優れているという根拠もありません。


どの集団にも、偶然天才児が現れることはあるんですよ。

どの患者集団にも、何にも治療しないで治る人が現れることは稀にあるんですよ。

でもだからといって、この教育をすれば天才児になる!とか、

何もしなくても病気は治る!という結論には絶対にならないのです。


宗教は、それを信じて実践していれば、迷いから解放されるというのが最大のメリットです。

ですから迷いや不安が大きくてブレやすい人や、

信じるものがあることで安定した幸せを感じる人は、

自分が共感できるものを1つ選んで信じて実践したらいいと思います。

一方で、

育児の中で、迷うことや不安に思うことや疑うことも1つの楽しみだと思える人、

メソッドを信じるのではなくて自分の子供を信じられる人、

柔軟性があって、客観視できて、試行錯誤しながら良いとこ取りができる人には、

宗教は必要ないと思います。

さらに言うと、これらのメソッドを目の敵にして批判する人もいますが、それも間違っていると感じます。

それは、彼らが自分でそれを信じて実践した結果、うまくいかなかっただけの話か、

または別のメソッドを過剰に信じている人が、自分の信仰の方が正しいと思いたいだけです。

どんな結果になっても、責任の所在はメソッドではなくて自分にある、

または、そもそもその結果は不可抗力だった(何をやっても同じ結果だった)と割り切る柔軟性も忘れてはいけないと思います。

キリスト教徒が、仏教は間違っていると言っても、実体のない信仰そのものを裁くことは誰もできません。

その辺りも、教育メソッドは宗教と同じレベルだと思うのです。



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