田舎でオール公立でも最高の教育を目指す

地方で子育てをする医学博士夫婦の教育論

花まるの力

久しぶりに、幼児教育の話を書きたいと思います。

その前に、私の住む地域でも公立高校入試の倍率が出ました。

我が家が目標とする高校は、3倍近い倍率になっていました。

今すぐ焦る必要もないけれど、ボケーっともしていられない感じがします。

近年の公立高校入試の傾向として、

トップ校ほど、入学選抜時点から文系、理系にハッキリ分けてしまうように思います。

高校2年生からクラス分けをしているようでは、大学受験に間に合わないのでしょうか。

そのために、高校入学前から得意科目や将来の夢を具体的にイメージしておく必要があると感じます。


さて、今日は幼児教育の話ですが、

私の持論として、

「幼児は勉強が苦痛ではない」

というものがあります。

だいたい、いつから勉強が辛いものになってしまうかというと、

小学校入学準備をしなかった子は、小学校入学時点から。

きちんと準備をして、上位スタートした子は、小学校3〜4年生くらいから、だと思います。

それ以降は、おそらくずっと苦痛なものになると思います。笑

苦痛の度合いは人それぞれでしょうが。。。


それで、不思議なことに小学校就学前の子供というのは、勉強が苦痛ではないのです。

私は自分の子供たちを見ていると、

何か仕込むなら年中〜年長の時期だなぁと思います。

この時期は、見るもの触れるもの全てに興味があり、

できないことも繰り返し練習すればできるようになる、ということが体感的に理解できるようになります。

スポーツでも音楽でも勉強でも、この時期に始めることは大きなアドバンテージになります。

逆にいうと、この時期に伸びた子にはなかなか追いつくことができません。

オリンピック選手も、音楽家も、大成した人はみんな幼少期に始めていると感じます。

もちろん例外はありますが、

一般的には、何事も早くスタートすることと、長く継続することに敵うものは無いと思っています。

本当は、

「いつから始めても、どんな子でも絶対に間に合うから大丈夫!」って言ってあげたいのですが、

現実はそうでもないようです。

もともと地頭の良い子なら後から挽回する子もいるでしょうし、

どんなに早く始めても途中で失速する子もいるでしょう。

しかしながら世の中の多く凡人にとって、ほとんどのことは、早く始めて長く続けた人が勝つのです。

私は、「早く始める」ことよりも「長く続ける」ことの方がずっと大切だと思いますが、(多くの人が継続できないため)

同じ継続力があるのなら、早く始めた人には敵いません。

早く始めることが、長く続けるための一助となる場合も多くあると思います。

大人になってから作った習慣よりも、小さい頃からの習慣の方が続きやすいからです。


これは我が家の場合なのですが、勉強の時間になるとみんな一斉にノートと鉛筆かクーピーを出すのです。

ここまで習慣になっていれば、やる内容なんか何だっていいと思います。

絵を書いてもいいし、ひらがなを書いてもいいし、日記を書いてもいいと思います。

そして、1ページ終わるごとに「終わった!」と言って私にノートを見せに来ます。

その時だけは家事の手を止めて、ノートに大きな大きな花まるを描きます。

子供によっては手のひらに描いてという子もいるので、その場合も大きな花まるを描きます。

この花まるの力は、親が思っているよりも大きいなぁと感じます。

兄弟喧嘩をしたり、泣いたり笑ったりいろいろあるけれど、1日の終わりは花まるをもらって終了です。

子供にとっても、認めてもらえた気持ちになるのではないかと思います。


もうひとつ、幼児期の教育を少し頑張ってもらいたいのは早生まれの子です。

我が家の子供たちも4人中3人が冬生まれで、早生まれもいます。

日本の年度が4月2日開始で区切られている以上、早生まれの子が成長が追いついていないのは仕方のない部分があると思います。

我が子も、4月生まれの子と比べると、当たり前ですが何もかもが遅いです。

1年も遅く生まれているわけですから仕方のないことで、生まれ月に将来の能力は一切関係ありません。

しかし、小学校入学時点では、その差がまだ大きく開いていることが多いです。

小学校入学時点で、「みんなより遅れている」という意識を持ってしまうと、

自分の立ち位置が「下位層」であることが当たり前になってしまい、

その立ち位置に慣れてしまい、挽回しようという意識も無くなってしまうように思います。

批判される事を覚悟して書きますが、

人生は、見えている景色がとても重要だと感じます。

満員電車の中で、いつも人混みの中に埋もれていて、半径50センチしか見えない中にいると、

いつのまにか埋もれていることが当たり前の人生になってしまいます。

他人よりも一段高いところから見る景色を知っている人は、

より広い範囲を見渡せて、自分よりもっと優れている人を発見したり、自分の立っている位置を俯瞰して見ることができます。

そして、その景色を一度でも見たことがあれば、

またその景色を見るために背伸びしたり努力したりすることができるのです。

埋もれていることが当たり前の人生で、

背伸びした時に見える景色が何一つ想像できないようだと、

そもそも背伸びしてみようということすら思いつかない人生になります。

子供が、学校という最初の社会に出た時に、何かひとつでもいいからそういう景色が見えるようにしてあげたい。

最初から見えなくても構わないので、

コツコツ続けたら見えなかった世界が見えた!
という経験をさせてあげたい。

それが、親が与えてあげられる、数少ない事のうちの1つかな、と思います。

一段高いところから見える景色を知っている子は、クラスメイトのことをよく見ています。

「◯◯ちゃんは、絵が得意なんだよ」

「◯◯くんは、書くのが遅いけど字が上手なんだよ」

と、自分以外の周りの事もよく把握しています。

たぶん、学業におけるちょっとした余裕がそうさせるのではないかと私は思います。

いつも埋もれていることが当たり前の人は、自分の事しか見えません。

そういう性質というか、生き方みたいなものって、大人になってからもずっと続くと私は思います。

大人になっても自分の事ばかりで精一杯で生きている人は、権利ばかり主張して、自分の立っている場所が見えないのです。

そういう大人は当然社会のリーダーにはなれないし、

組織全体の利益、人それぞれの適性を見抜いて調整する力がありません。

それって、普段見ている景色の違い、幼い頃から見てきた景色の違いではないのかな…と思います。

私が書いている話は、お受験とは遠いところにある田舎の公立小学校の話です。

ですから、小学校入学時に一段高いところでスタートするのは簡単です。

簡単な読み書き計算がスラスラできれば、それだけで十分だと思います。

小学校の就学時健診で、自分の名前が書けない子供もけっこういますよね。

そんな中で、ひらがな、カタカナが書けて、繰り上がり繰り下がりの無いたし算ひき算ができれば、それだけで上位スタートです。

勉強に余裕があると、周りの事がよく見えて、人間関係にも余裕が生まれます。


最初にも書きましたが、4〜6歳の子供にとって、学びは苦痛ではないのですよね。

早くから幼児教室に通わせるのはあまり賛成しませんが、

(幼児教育に通っている子は、みんな画一的で、個人的にはあまり好きではありません。)

先生にもらう花まるよりも、親にもらう花まるの効果が1番大きいと感じます。

うちの長男は、1歳の頃から、

次女が私にノートを見せに来ると、自分も紙を持ってきて後ろに並ぶのです。

お姉ちゃんが、何か毎日お母さんに良いものを描いてもらって嬉しそうにしている。

自分も欲しい!と思うのかもしれません。

長男はまだ字が書けませんが、机に向かって何か書くという習慣が何より大事だと思います。

殴り描きの絵でもいいので、何か描いてあれば赤で大きな大きな花まるを毎日あげることにしています。

私はあまり細かいことで子供を褒めるのが得意ではないので、大きな花まるをあげることで補っている部分もあると思います。


特別優秀で覚えが良い必要は全くありません。

椅子に座る、何か書く、褒められる。

たったこれだけの繰り返しですが、毎日行うと大きな力になる気がします。



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